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2011年4月19日 (火)

震災から38日 震災をうたにする

震災を創作するために

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新聞に、一般の方のこんな短歌が載っていました。

  袋縫う仕事もありてボランティア

  骨入れるためと聞けばたじろぐ (神奈川県・女性)

  津波後の瓦礫に佇む老一人

  息子がいない息子がいない (栃木県・女性)

  失くしても亡くしても今生きている

  あなたがどうか強くと祈る (大分県・女性)

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われわれはなぜ、創作に向かうと、

現実の厳しさに、あえて向き合おうとしてしまうのか。

そして、そうした作品からリアルがぽろっと見えるほど、

作品としての良さを感じてしまうのは、なぜなのか。

歌を詠んだ方は、被災者の方ではないのでしょう。

それぞれが創作にあたって、リアルに寄り添おうとし、

自分と被災地とのつながりをつかもうとしている。

一番目の歌が、特に優れているのは、

日常に、ぽろっと、被災地のリアルが紛れ込んでいる

からだと、私は思います。

震災直後~津波が来る、などといった、

今回の被災の決定的な瞬間瞬間には、

きっと、「え?マジかよ。」という、

(その時にはもう手遅れだった人が多かったのでしょう)

目の前の現実と死とが密接した「リアル」なつぶやきが、

発せられていたと思います

われわれにそれを追体験することは無理です。が、

何かしたいとボランティア志願し、

得意の裁縫を活かせるものがあった、と思いきや、

それが遺骨を入れる袋だったと知った時の、

「え?マジかよ」は、

被災者ではない者なりに、一瞬間、

「死」と向かい合わざるをえない感情のゆさぶりがあり、

作品として、リアルが立ち上っている、と思います。

では。リアルに向かうことが、なぜ大事なのか。

それは、創作が常にそれを求めているからだと思います

たとえば。新学期はじまり、気になる男子ができて、

気になって気になって仕方がない女子の気持ちを描いた

ももいろクローバーの歌詞に、こんなのがあります。

  こどもの日も みどりの日も

  キミに会いたい 

  多すぎるって 五月の祝日。。。   『全力少女』

震災であれ、恋愛であれ、それを創作していくとき、

ひとの気持ちに、すっと寄り添う、生々しいリアル(細部)が

あってこそ、ひとの心に刻まれ、創作物となりうる。

簡単なことではないですが、私が言いたいのは、

リアル(細部)を目指さないと、創作はダメになるということ

問題は、私にとっての、どの細部か、どのリアルか、

ということなのかもしれません。

(のぶ)

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