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2011年4月

2011年4月30日 (土)

震災から49日 ビヨンセふたたび

ロックとはなにか

--

ビヨンセのライブ、前に録画してあった2010年のツアー。

ちょっと時間がなくって、全部観れなかったのですが、

「single ladies」という曲は、三回続けて観ました。

やはり、ビヨンセはかっこよいです。

歌わない間奏部分で、「ハッ!」とか言う気合いが、

マイクにのっかって聴こえて来る、のが、かっこよい。

溢れるエナジーが、私にもビビッと伝わって来る。

この芸、エルビスみたいです。ロックだなあ、とおもう。

踊りも、超・気合入っていて、動き一つにキレがある。

溢れるエナジーが、私にもビビッと伝わって来る。

ももクロZの5人も、ビヨンセ芸を取りいれたら、

もっとすごいものになっていくかも、とおもいました。

beyonce 「single ladies live」 youtube http://www.youtube.com/watch?v=1i5jEOPV3lw&feature=related

2008年のライブ映像。音のバランスが良いので。

これは、ロックでしょう。かなりカッコ良い。

が。2010年のライブの方が、踊りのキレはよいです。

つまりビヨンセ、ちゃんと進化・向上しているのだな、と。

(のぶ)

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2011年4月28日 (木)

震災から47日 アイドルいろいろ

今日のリスニング

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『やっぱりアイドル!ヒットコレクション』(2010)を聴いて

・早見優「夏色のナンシー」

・おニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」

・大沢逸美「ジェームスディーンみたいな女の子」

が、心に残りました。

「夏色のナンシー」は、実によい曲です。

バックバンドの演奏がグングン走っていて、「高速の生ナンシー」。面白いですよhttp://www.youtube.com/watch?v=sbyomLgk5l4&feature=related

サビ前の♪去年とはくちびるが違ってる♪

歌詞もいいし、曲の構成としても、盛り上げ効果十分。

三浦徳子作詞、筒美京平作曲、茂木由多加編曲。

原曲は、もろテクノポップで、今聴いてもかっこいいし、

テレビ出演時は生楽器編曲で、生楽器もまた良い。

早見優のYes!というのは、いまのAKBのYes!とは

意味合いが違うけれど、

恋する乙女の溢れる気持ち、を表わす意味では同じかも

うたでうたう、Yes!って、なんか、すばらしいです。

「セーラー服~」。

http://www.youtube.com/watch?v=eSocZdvKaaQ&feature=related

エレキギターの必要以上に大きいミックスとか。

いまのポップスの、完璧にデジタルな?音源と比べると、

調教されていない、雑な感じが、音にこもっていて、

イントロの鳴り、なんて、実にすがすがしい。

なんというか、勢いのあるひとが出せる音、があります。

「ジェームスディーン~」。

http://www.youtube.com/watch?v=1vK-rWPma0c

これ、女の子が女の子に恋するうた、です。

昔っから、大人は、アイドルにいろんなことをさせてます

♪Boy or girl, girl or boy, boy or girl  とても微妙さ♪

って。お茶の間に向けて、堂々、歌っております。

すごい!やっぱりすごい、作詞アキヨウコ!

(のぶ)

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2011年4月26日 (火)

震災から45日 生後一日

うまれてきてもろもろ

--

25日。所用で、総合病院に行きました。

ふと。4月25日生まれたての赤ちゃんが

5、6人並んでいるのを、ガラス越しに見ました。

あ、こういうの、一般?公開してるんだ、と驚き。

人間のかたちが、いちばんちっちゃい、生後何時間か

そりゃあ、もう、全員めちゃくちゃ、かわいかったです。

「こ、こりゃ、かわいすぎるだろ、」 ビビりました。

なんか、すげー、すげー、とそれしか言えない。圧倒的。

うまれてきてよかったね、かどうか、いま分からないけど

いま、新緑はほんとうにきれいで、紫色の夕焼け、とか、

おいしい人参をそのままかじる甘みとか、もろもろ、

うまれてきてよかった、かもしれない。

(のぶ)

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2011年4月25日 (月)

震災から44日 新緑に

新緑もろもろ

--

新緑がきれいですね。

私は、うっとりと、ケヤキやモミジの新緑を眺めています

この時期は、なんて美しいのでしょう。

さわやかさと幸福感、前へ進む気持ち、もろもろ、

新緑。最高だな、と思います。

(のぶ)

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2011年4月23日 (土)

震災から42日 見通しを立てる

きょうのリスニング

--

大瀧詠一 『ロングバケーション』 (1991リマスター盤)

キリンジ 『BUOYANCY』(2010)

グリマーズ連 『いのちがけCD』(2010)

--

いろいろいろいろ、考えながら、

日本語のうたを聴いて暮らしています。

で。締めに、グリマーズ連を聴いてみた。

良かった。いいぞ。グリマーズ連。(うたは下手だけど)

やってること、悪くない。(トラックが未熟だけど)

いまなら、もっとうまくいくような、気がします。

日本語で歌を作るということ。何を作るか。

ようやく、その答えが、私なりに見えてきた。

私は、基本的に、洋楽=「サウンド」が好きかもしれず

たとえば、今日だって、ポール・サイモンとか聴きながら

「もう、完璧にすばらしいな、」とか思っている訳です。

だから。もう、歌をつくる、必要など、ない、かも。

というのが、最近の私の、極論、かもしれなかった。

(私は、考え始めると、極端なところまでいく癖がある)

しかし。ときおり、私のこころに、すっと入って来る、

そんな日本語の歌があることも、無視できません。

♪ジタバタするなよ、世紀末が来るぜ

♪多すぎるって、五月の祝日。。。

♪過ぎ去った時、癪だけど、今より、まぶしい

「あぁ、私も、そんな日本語で、歌を作りたい、」

そんな強い動機が私の中で

生まれては、消えたり、しています

また、演奏(バックトラック)は、とても素晴らしいのに、

日本語のうたである、という理由だけで、

つまらなくなっている音楽が多いのに気が付きました。

その要因は、「全て」、歌詞のつまらなさ、力の無さ、に

あると思いました。

そんなことを考えながら、日本語の歌をあれこれ聴き、

(メジャーなものからアマチュアなものまで聴きまくり)

私なりに、ある一つの道筋がみえてきた、

私の作る歌は、こういうふうにしたい、という道筋です。

とはいえ。私の考えていることは、

グリマーズ連として、とくに変わったことはないですが

もしかしたら、エネルギー消費の記事で言っていたこと

無駄なエネルギーを使わない、適切なエネルギー使用

とは、コンセプトの明確化、つまり

私が何をしたいかを明確にし、そこに忠実に動いていく

ことかもしれなかった。

まだ、何もかたちになってはいないのですが、

見通しが分かったら、具体的に行動するのみです。

あぁ、いいうたを作りたい!

(のぶ)

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2011年4月22日 (金)

震災から41日 新聞を読んで

新聞の記事三点

--

秋葉原の老舗メード喫茶、一番人気のメード、Aさん

 東日本大震災で親戚や友人が被災した人もいる、と聞く。

 でも、Aさんはことさらしんみりせず、ふだん通りの明るい接客を心がける。

 「みなさん、癒されたくて来ている。メードと話す時まで悲しいことを思い出させたくない。だから『大変ですね』とか、絶対に言いません」

私は、メードではありませんが、

ステージに立つ者として多少、

メードに似た「こころがけ」が必要なのか、と自問。

お客さんが何を求めているかを感じ、それをやる、

という「職業」意識にバランスを傾ける、というか。

現実と祝祭性をどのようにバランスよく成り立たせるか

アキバに行って、勉強してこようかしら。

--

科学の欄に、「どうなる今後の地震?学者はこう見る」

という記事。

12人の地震学者の見解が100字程度の簡潔な文章で

12通り挙げられています。

それをひとつひとつ読んでいくうちに、

私の中で、できるだけ明るい見通しのやつにしたい、

という感覚が芽生えてきました。

基本的には、また大きい余震がある、ということは

共通している見解であるのだけれど。12通りあると、

M8級orM7級(この1の差は随分違うのでは?)

余震が続くのは今後10年or5年(そりゃ5年がいい)

あくまで東北での警戒を挙げる向きと

首都圏直下を強く警告する向きがいる、など

学者によって細部の見解は異なっているようで、

私はそれを見比べながら、どれがいいかなあ、と思う。

つまり、学者の見解は、学者なりの根拠があっても、

何かを教えてくれるようで、決定的なことは分からない。

結局、それを受け取るわれわれが「何を」受け取って

「どうしていくのか」ということが問題だなあ、と思う。

--

最後に、こんな記事。

チェルノブイリの後始末が今も難題になっていて、新しい計画に多額の国際援助が必要なのに、その3分の1が調達できていないとのこと。

ここに来て福島第一原発事故に注目が集まり、(チェルノブイリの問題が)埋没しかねないとの懸念も浮上。

ウクライナのメディアによると、同国当局は「福島よりもチェルノブイリの方がよほど深刻」と躍起になったという。

ふと。新燃岳の半径4キロ?避難とかは、どうなってる?

目黒の刺殺事件、犯行の真の目的は何だったのか?

とか、私が震災前に気にしていたことが気になりました。

それでも、私は、あくまで3月11日の震災のことを

気にして生き続けるようにしたいのですが、

日々更新される情報に「埋没」していくことを、

常に注意していた方がよさそうです。

(のぶ)

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2011年4月21日 (木)

震災から40日 震災に飽きた私に

飽きちゃった?

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スーパーで。アルカリイオン水を給水している間、

お店に集まった義援金の、現在の金額(66万円)とか、

震災関連の新聞記事がパネルに何枚も掲示してあり、

それをぼんやり眺めながら、ふと、

なんか、震災、震災って、飽きちゃったなあ、

と、思ったことに、私はびっくりしてしまいました。

震災から40日が経ちました。

みなさん、それぞれの震災を経験したことでしょう。

3月11日、私も、私なりの震災を経験しました。

あのときの、あれ、は、たった40日で、

飽きちゃったから、違うことをしよう(考えよう)、と

放り投げてしまっていいのかなあ?

現在も、避難所で暮らしている方はたくさんいて、

原発は、とらえ方によっては、むしろよろしくない、

塩害で、数年は米作りができない、とか地域もあり、

たまにすごい余震もある、問題は終わっていない。

われわれが、この問題の、どの(経過)地点にいるのか

世の中の誰もわからない状況であるのに、

飽きちゃうのは、まだまだ早い気がします。

日々、音楽のことを飽きずに考えて生きているように

3月11~12日あたりに強く感じていた、あの感じを

考え、気にしながら、生きていけないものか、と。

けっして「飽きる」ということがない境地で。

あのときの、あれ。とてつもなく、すごかったじゃないか。

とても大切なものがあったと私は思っています。

音楽で表現することもそうですが、

誰かを大切に思う気持ち、とかでも表現できますね。

飽きちゃうなんて、とんでもない!

(のぶ)

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2011年4月19日 (火)

震災から38日 震災をうたにする

震災を創作するために

--

新聞に、一般の方のこんな短歌が載っていました。

  袋縫う仕事もありてボランティア

  骨入れるためと聞けばたじろぐ (神奈川県・女性)

  津波後の瓦礫に佇む老一人

  息子がいない息子がいない (栃木県・女性)

  失くしても亡くしても今生きている

  あなたがどうか強くと祈る (大分県・女性)

--

われわれはなぜ、創作に向かうと、

現実の厳しさに、あえて向き合おうとしてしまうのか。

そして、そうした作品からリアルがぽろっと見えるほど、

作品としての良さを感じてしまうのは、なぜなのか。

歌を詠んだ方は、被災者の方ではないのでしょう。

それぞれが創作にあたって、リアルに寄り添おうとし、

自分と被災地とのつながりをつかもうとしている。

一番目の歌が、特に優れているのは、

日常に、ぽろっと、被災地のリアルが紛れ込んでいる

からだと、私は思います。

震災直後~津波が来る、などといった、

今回の被災の決定的な瞬間瞬間には、

きっと、「え?マジかよ。」という、

(その時にはもう手遅れだった人が多かったのでしょう)

目の前の現実と死とが密接した「リアル」なつぶやきが、

発せられていたと思います

われわれにそれを追体験することは無理です。が、

何かしたいとボランティア志願し、

得意の裁縫を活かせるものがあった、と思いきや、

それが遺骨を入れる袋だったと知った時の、

「え?マジかよ」は、

被災者ではない者なりに、一瞬間、

「死」と向かい合わざるをえない感情のゆさぶりがあり、

作品として、リアルが立ち上っている、と思います。

では。リアルに向かうことが、なぜ大事なのか。

それは、創作が常にそれを求めているからだと思います

たとえば。新学期はじまり、気になる男子ができて、

気になって気になって仕方がない女子の気持ちを描いた

ももいろクローバーの歌詞に、こんなのがあります。

  こどもの日も みどりの日も

  キミに会いたい 

  多すぎるって 五月の祝日。。。   『全力少女』

震災であれ、恋愛であれ、それを創作していくとき、

ひとの気持ちに、すっと寄り添う、生々しいリアル(細部)が

あってこそ、ひとの心に刻まれ、創作物となりうる。

簡単なことではないですが、私が言いたいのは、

リアル(細部)を目指さないと、創作はダメになるということ

問題は、私にとっての、どの細部か、どのリアルか、

ということなのかもしれません。

(のぶ)

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2011年4月18日 (月)

震災から37日 テレビを観る

日曜テレビくん

--

NHKのど自慢。

大きく分けると、

明らかにうまいひと。お調子者。明らかにヘタなひと。

の3種がいて、その他に

本人的にも「けっこう歌えてる」表情で歌っているし、

今までも、周りから「歌うまいね」と評されてきただろう、

たしかに、なかなか良く歌えているが、

カーン・コーン♪というB評価?、の出場者がいます。

あの瞬間は、観てるこっちまでイタくて、

学校、会社で培ってきた?「出来るひと」の立ち位置、

これからの彼らの人生に鈍い影を落とさないか、と

余計な想像をしてしまいます。

ああいう彼らに下される「カーンコーン」には、

その場で人生を否定されるような残酷さがあって、

日曜お昼にそんな事が行われている画にびっくりします。

ただ。きょうの評価は甘かったかも。

いや、最近、評価基準が変わってきたような気がします。

どの発声法を良しとするか、基準が変わってきたから?

北海道日本ハム、斉藤佑樹投手がプロ初先発。

一回表の投球をみていて、この球筋で大丈夫?と思うも

巨人の桑田真澄投手の投球を観てたような、

打たせて捕るピッチングのおもしろさがありました。

立ちはだかるロッテ井口選手の存在感もドラマ性たっぷり

日ハムvsロッテ、という試合なのに、たのしみました。

(大好きなロッテ福浦選手の応援が聴けたのも大きい)

午後3時からは、東京電力の記者会見。

今後の見通しが発表されました。

見通しは大事ですね。

それに向けて、具体的に何をしよう、という考え方になり、

生きる力が、もう少し具体的に発揮される、気がします。

みんな、具体的に、がんばれ!です。

午後4時から、ゴルフ、男子ツアー開幕戦。

獲得賞金全額寄付表明の、石川遼選手を見守ります。

私は、浅田真央、斉藤佑樹、石川遼、と

優等生プレイヤー?みたいな選手が好きで、

彼らを観ていると、私の気持ちが、すーっと、

彼らと共にある気がしてしまって、スポーツはたのしい。

石川遼、最終ホールの、お見事なカップインをみて、

「やっぱり、遼くんは違うよね」と人並みの感想を覚え、

「やべ、テレビ観すぎた、」と、走りに行きました。

(のぶ)

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2011年4月17日 (日)

震災から36日 水菜を喰らう!

風評を越えて

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きょうも、スーパーの「がんばろう日本」特設売り場にて

茨城産の水菜(98円)をお買い上げ。

ガンガン喰うぞ!と一袋全部、サラダでいただきました。

水菜を水洗いして切り、細切りにした人参と混ぜる。

そこに、

オリーブオイル、塩コショウ、パルメザンチーズ、バジル

をぶっかけただけ。それだけ。

シャキシャキ感あふれる、最高級お菓子?みたいです。

おいしかった。水菜の役割を存分に活かしきりました。

水洗いしている時、泥や埃を洗い落としていると同時に、

微量の放射線も洗い落としているのかな、と思っちゃう。

そんなわけはないです!もちろん!たしかに!が、

なんか、やはり、いつもの水菜の水洗いとは違ってた。

洗い方は同じですが、洗っている私の心が違います。

こうやって風評がうまれていく?のかもしれません。

こういうのは、いけないですね。

根拠もないのに、なんとなく汚れていると思ってる。

風評に惑わされるなどけしからん、と思ってましたが

私のこころにもそういうものがあった、とは。

ですので、あまり偉そうなことは言えないのですが

でも。売ってるものを買い、水洗いして、食べていく。

シャキシャキ水菜が食べたいから、食べる。

それでいい。こっちの気分でいきたい、と確かにおもう。

福島県いわき市の小名浜で、「目光り」という魚が獲れ

小名浜港には、目光りが串に何匹も吊るされていました。

そうして干したものを焼いて食べます。脂っぽくって美味い

小名浜港も、津波の被害で大変そうですが、

また美味しい目光り食べたいです。

これが震災から36日に、考えていたこと。

(のぶ)

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2011年4月16日 (土)

震災から35日 原発関係のこと

雑記いろいろ

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スーパーで。「がんばろう日本」と、大きく張り紙が。

その特別コーナーには「茨城産の水菜」。

なるほど、そうだ、みんなで水菜(一束98円)を買って、

風評被害を受けている茨城にエールをおくろう!

なるほど。がんばろう日本!です。

だが、特別コーナー内の、その水菜のとなりに、

「埼玉県産のレンコン」「神奈川県産の大根」があるのは

ん?がんばろう日本!か?

東電から、100万円の賠償金を避難者に仮払い、と。

NHKの映像で、

原発から60キロの町で避難指示もなく、しかし、

いま「原乳を捨てるためだけの酪農」をしている男性が

「わしが(東電から)もらっているのは、放射能だけだ」

と言っていて、ことばって、すごい

哀しみ、真実、やるせなさ、そこに微量のおかしみすら。

原発避難の児童を「汚い」といじめた転校先の児童。

親の育て方が悪い、のでしょうが、それにしても、

きたない、寄るな、という、いじめの定番の感覚に

今度、「放射線」が入ってきたのは、親やテレビが、

どのような影響を子供に与えているからなのか?

「除染」とか「白い防護服」「近づけない」イメージがあり

結果、きたない、寄るな、となる気がします。

子供の残酷さにとっては、きっとこれくらいのことがあれば

平気で、いじめの材料になるはずであり、

親がするべきことは、その不当性を根拠立てることより

いま、原発避難してきた子をいじめることが、社会的に

いかにイケてないか、いかに浮いているか、を

しっかり教えておくことかもしれません。

なんというか、私たちが、もっとかしこくなるために、

日々、基準が変わる、「正しい数値」に影響されるより、

ひとのために生きるような「正しい気分」をつかみたい。

私としては、そんな感じがしています。

これが震災から35日で、考えていたこと。

(のぶ)

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2011年4月15日 (金)

震災から34日 シブがき隊について

どのように成長していくか

--

きょう、走っていたら、ふと、

シブがき隊は、あの奔放な歌い方こそが魅力だよな、

思いました。

たとえば、解散後の映像にこんなものがありました。

http://www.youtube.com/watch?v=mQrtH-iOcws&feature=related

ここでは、(特に)やっくん本来の暴発する歌唱がなく、

(♪ジタバタするなよ♪をどうして甘~く歌っちゃうの?!)

デビュー当時の圧倒的な祝祭感が見る影もありません。

芸人なら、誰もが、少しでも「良きもの」を目指すわけで、

その意味で、大人になった薬丸氏は間違っていません。

でも。シブがき隊とは何か、ということを考えた時に、

歌い方を洗練させることは、

必ずしも、芸を向上させることにつながってはいない。

これは、芸道として、ふしぎなことであります。

このことから、

シブがき隊として成すべきことは、歌唱の洗練ではなく、

持ち前の奔放さを突き進むことであったのでは?と。

やっくん&ふっくんは、大いに奔放に歌ってもらって、

もっくんは、大いに「上から目線で」女の子を扱う。

(♪抱いてやる♪すがりつけ♪もっくん歌詞の傾向)

グループが本来備えていた「圧倒的な祝祭感」こそを

自らの成長に合わせて更新していく、

ことが必要だったのでは、と私なりに考えました。

もちろん?この話は、私自身の話かもしれず、

ももいろクローバーにつながる話かもしれない、かも。

これが、震災から34日経って、私が考えていたこと。

(のぶ)

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2011年4月14日 (木)

震災から33日 今日のリスニング

すばらしい、三作品

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ニールヤング 『road rock (ライブ盤)』 (2000)

EXILE 『願いの塔』 (2011)

シブがき隊 『ベスト』 (1986)

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相変わらず、めちゃくちゃなリスニング続けております。

私の中では、いいもの、という筋は通っているのですが。

ニールヤング「cowgirl in the sand」、18分に及ぶ熱演は

久しぶりに、車で爆音聴いて、体中がざわざわ。

ギターソロで、1.2弦を同時に、高音域で弾くところは、

いつ聴いても、身体の奥の方から、ぐおーっと来ます。

すばらしいなあ。すばらしすぎる。

EXILE「I wish for you」、ほんとうにいい曲だと思います。

ぐんぐん、前に進む、大きなノリのドラムを聴いていると

気持ちがすっきり洗われる。

シブがき隊。森雪之丞による作詞がスペシャルに最高。

シブがき隊こそまさに、ふざけた大人(制作陣)の創出した

「浮世を離れた尋常ならざる祝祭感」そのものであり、

今で言う、ももいろクローバーであり、

こういうの、芸能として、素晴らしい、と私は思う。

ももいろクローバーとかジャニーズ。なんかじわじわと、

「アイドルの世界」というものに興味が出てきています。

♪ジタバタするなよ、世紀末がくるぜ♪

この歌詞は、永遠にすばらしいです。

シブがき隊 「NAINAI16」 youtube http://www.youtube.com/watch?v=5T1lXyc-tjs&feature=related

(のぶ)

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2011年4月11日 (月)

震災から30日 ももクロ改名!

ふざけた大人

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ももいろクローバーが、改名して、

「ももいろクローバーZ」になった。

10日、伝説の?中野サンプラザ公演・夜の部

(チケット即完売→オークションで高値取引された公演)

その現場にいた友人から速報いただきました。

強く、強く、なっていくんでしょう。これから。「Z」だけに。

ただ。看板だけ強くしても、中身がついてこなければ。

10日で脱退した「青」の存在は、大き過ぎるはずで、

(smapで言うと、クールな木村氏が脱退する感じ?)

それを補てんして、なおあまりある(なにしろ「Z」だけに)

あたらしい趣向とは、なんなのか?

この大問題に、ももクロ関係者の方々がどうしていくのか

私も、少なからず興味を抱いている者ですが、

まずは、改名。で、ももいろクローバーZ。

ふざけた大人たちがいるものです。

誤解なきよう。「ふざけた」、友愛の意味で言ってます。

私も、ふざけた大人だと自覚しておりますが、

まだまだ、ふざけ具合が中途半端なのが、

私の芸の粗さにつながっている、と、これは私の反省。

まずは、「ももいろクローバーZ」に改名してみちゃおう、

そういう、いい大人のテキトーさ、いい加減さ、

ふざけ具合、ある意味、思い切りの良さが、

私にも必要だなあ、とおもった。

ももクロの『怪盗少女』『ココ☆ナツ』。

ももいろクローバーlive youtube http://www.youtube.com/watch?v=ji2EvIlmvWY&feature=fvwrel

ふざけた大人たちによる、圧倒的な祝祭感の創出です。

小娘たちに「ココココ」言わせて回らせる大人も、

開始40秒~「あ~りん」、客掛け声の圧倒的な熱量も、

みんな、ふざけてる。素晴らしい、と私は思います。

震災から30日、という題名と、どういう関係が?

いやいや。ももクロのことを話題に出来るくらい

良い意味では、私は元に戻りつつあり、

ある意味では、たった30日で、あの震災は風化し、

私はシリアスじゃなくなってきている?という自問。

(のぶ)

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2011年4月10日 (日)

震災から29日 思ったこととか

きょうの雑記

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「こういう歌があったらいいのにな、」

というところから、歌をつくりたい。

ちょっと忘れかけていたけれど、

なんか、きょう、その感触を、急に思いだしました。

以前は、郊外の風景をニール・ヤング風で歌ったら、と。

今はなんだ? 「こういう歌があったらいいのにな、」

きょうも、自転車や、クルマにのって、

いろいろサクラをみました。

途中、標識で「池袋まで27キロ」というのを見つけて、

私の地理感覚では、池袋まで随分遠いところで、です。

と考えて、原発から半径20~30キロって、

どんなに広い範囲なんだと、びっくりしました。

(のぶ)

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2011年4月 9日 (土)

震災から28日 今年のサクラについて

サクラを目にして

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サクラが咲いています。

都内の名所や近所、いろいろ見てまわっています。

きょう、サクラの下でストレッチをしながら、ふと

「サクラが咲いている。 で、それがどうした?」

と、強烈に思ってしまって、私は、自分にびっくりした。

いや、別に、震災の影響とか、

そういう話がしたいのではありません。

サクラを目にして、私は、なにをするんだっけ?

思った、という感じが近いです。

ただ、うつくしいと感じていればいいのか、

過去を思い出せばいいのか、誰かに連絡するのか、

ビールを飲む?

みなさんは、サクラを目にして、何をするのでしょうか。

私には、なんだかよく分からなくなってしまって、

今年はいっぱいサクラをみようとおもっています。

おぉ!やっぱりサクラはすげえ!と言いたいんだと思う

なんか、往年のロックスターに期待する感じ?

(のぶ)

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2011年4月 8日 (金)

震災から27日 ボランティアをしに行く

マイ・ボランティア・スピリット

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近所の体育館に、福島から避難してきた方々が来ていて

先日、ジョギングついでに、ちょっと覗いてみましたが、

寒い夜、ぼんやり光る、体育館は体育館。

人が暮らすところではありません。

ちらと、現場をのぞくと、

体育館とか、共同生活とか、正直、ほんとに?って感じ

この暮らしがいつまで続くのかわからない、というのは

避難者への応対として、あまりに、ひどいのではないか。

私個人的な考えとして、まず、

会社の保養所とか、社員寮とか、関西地域へ、とか

もう何でもいいから「人並みに住むところ」を提供して、

そもそも、避難=みんなで体育館、という発想自体を

やめるべきではないか。そんなことを思った。

ところで、その夜。

入口にボランティア募集の紙が掲示してあるのを発見。

おれ!何かやろうかな!おれ!とか思いはじめ、

すぐに何かボランティアできるなら(または登録しに)、

きょう、えいっ!と、体育館に行ってみた。

が、入口に、

避難者の方々はこの体育館を出られ、ご帰宅されました

との張り紙が。

え?

おれ、ボランティアしたかったのになあ。残念だなあ。

せっかくなあ。がっかり。なんだ、いないのか。と、

おもったのは、5秒くらい。

10秒たって。そうか、帰宅した、うちに帰れた、のか。

体育館での暮らしを終えて、本当に良かったなあ、と

私はおもった。

そして、

地域ボランティア随時募集!との張り紙は、見ぬふり。

「そういうこととは、違うんだよな…」とかなんとか言って

結局、わが、不純な?ボランティア精神を反省しました。

「なんだ、いないのか」は、われながら、最低です。

こんな時こそ、こんな私がボランティアする!たのしさ!

そんな私の不純な?ボランティア精神は、

結局、実現しなかったけれど、

やれば、誠心誠意、はたらいたと思いますが、

私の不純さは、ボランティアとして、いかがなものか。

「被災地(者)に向けて」音楽をすることが許される人、

それは、老若男女、誰もが知っている有名人、だと思う。

もしくは、老若男女、誰もが知ってる歌を持ってる歌手。

それ以外の、誰?って歌手(有名人?)は、

私のボランティア精神と、だいたい似たようなもので、

「被災地に向けて」音楽をするなんて、ムリだと思う。

「君、なんか、楽しそうだね」という風にしか見えない。

何かよく分からない話になってきましたが。

私は、いま、全然まったく有名ではないけれど、

音楽をしなければいけないと、日増しに思っております。

ただ。いま、「被災地のために」届けることはしない。

しばらく経って、私の歌が、被災地の方々に届く、

そういう歌、そういう届き方、もあるな、と思っています。

私が今、関心があるのは、被災地以外の人同士で、

この震災を、どのように感じ合い、伝えあうか、であり、

被災地のリアルが届かない、チャラい?私達が、

被災地の方々とどのように「共生」していけるか、です。

これ書いている途中、強い揺れを感じて、おびえる。

ここは、震度4。(宮城で、6強、とのこと)

「しばらく経って」っていつだろう。まだまだ続くのですね。

(のぶ)

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2011年4月 7日 (木)

震災から26日 東京の、ある母子

がんばれ、タイチ!

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電車で。男の子(3~4歳?)が泣いている。

「え~ん」とか「あ”~」とか泣くような子供泣きでなく、

「うぐっ、うぐっ、」と、悲しみを堪えるも、想いあふれて、

渡辺謙のような男泣きを、午後の電車で泣いています。

興味を覚え、近くに位置し、母親との会話を聞きます。

要約すると。その子は、きょう行われた、

なにがしかのお稽古か、さもなくば、発表会で、

つい、だらだらしてしまったらしく、

周りの子に比べ、全然良くなかったらしい。

それに激怒した母親。周りの子と比べたがる母気質に

私個人的には疑問があったが、しかし最終的には、

母親がこんな風なことを言ったから、おもしろかった。

「何度でもあると思ってるから、ああいうことするんだ。

あれはもう、あの一回で終わりなんだよ。

今日、タイチがしたことは、もう取り返しがつかない。

タイチは、もう絶対、あれをやり直せないんだからね」

そう言った。

(もう絶対、のところで、タイチが敏感に反応し、むせび泣いた)

わずか三歳で、何をやったんだ?タイチ?

三歳で、絶対取り返しのつかないことって、なんだ?

そばで聞いていた野次馬の私は、

「いや、タイチ、気持ち次第だ。何度でもやり直せるぞ」

そう言ってやりたかったが、母親が怖いので、言わない。

でも。もしかしたら。

タイチは、きょう、もう絶対取り返しのつかないことを、

うっかり、してしまったのかもしれないな、と、

ふたりが電車を降り、ぽっかり空いたその空間を、

感じながら、私も思った。

(のぶ)

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2011年4月 6日 (水)

震災から25日 ある母子に捧ぐ

ご冥福をお祈りします

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新聞に、こんな記事がありました。

 親子らしい女性と女の子が、屋根の上にしがみついたまま沖に流されていくのが見えた。どうすることもできなかった

これを読んで、私は、なんかずっと、

この母子のことを考え続けていて、

やはり、最期は、海に沈んでしまったのだろうな、と思う。

もう少し、正確にいいたい。

沖に流されていく屋根の上も、次第に海に沈み、

意識があるままに、ふたりは海に浸かっていって、

(その時、母子は手をつないでいただろうか)

潮の強い流れに泳ぐことも出来ず、すがるものもなく

少しは自力で水面に顔を出していたかもしれないが、

力尽きたのが先か、大量の水が口に入ったのが先か、

私が思ってしまうのは、

最期の瞬間まで、恐怖が長すぎることの残酷さ、です。

「大丈夫、きっと、どうにかなる」と、

沖に流される屋根の上で考えることが出来るだろうか

むしろ。ふたりで、死ぬことを確信しながら、しかも、

はっきりとした意識で、「最期、どうやって死ぬのか」

ということを考えざるを得ない状況にある。

これは、かわいそうだ。あまりにひどい。

私はまだこのブログで一度も「ご冥福をお祈りします」と

いう言葉を使った事がありません。

震災直後は、親戚と連絡がとれなかったこともあり、

まだそういうことは言いたくない、という気持ちもありましたし

その親戚と連絡が取れてから後も、

実態のつかめない、あまりに膨大な、

ひとりひとりの死、ということに、

私の「ご冥福をお祈りします」が、ぼんやりし過ぎている

と、私なりに感じていたからです。

ですが。私は、新聞で読んだ、この母子のために、

はじめて、心をこめて、言えるような気がします。

この母子のご冥福を、心から祈っております。

(のぶ)

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2011年4月 4日 (月)

震災から23日 宮沢りえとランディ・ニューマン

おいしかった。

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震災後の大河ドラマで、

石坂浩ニの淹れたお茶を飲んだ、宮沢りえが

悲しみを、一時、すっかり忘れてしまうほど、おいしかった

というセリフがあって、なんか忘れられず、覚えています。

悲しみというか、怯えというか、尋常ではない経験があり、

その時、音楽には何が出来る?と考え続けています。

一時、音楽に、うっとりしてしまう、そんな音楽がいいな、と

私なりに、思えてきました。

元気が出る曲とか、みんながついてる、がんばれ、とか、

明日がある、とか、ひとりじゃない、とか

私個人的には、なんか、全然ピンと来ないのです。

私自身が全然被災者ではないから、かもしれませんが。

私が今、必要だと思うメッセージ(というか音楽)は、

なんか、もっと、しっとりと、「生きていろ。」という感じ。

そういうのがいいな、と私は思います。

ランディ・ニューマンの「ルイジアナ1927」です。

randy newman [louisiana1927 ] youtube http://www.youtube.com/watch?v=MGs2iLoDUYE&NR=1

洋楽好き。つまらないモード?の私で、すみません。

でも、この曲のような音楽こそ、

宮沢りえ言うところの、

悲しみを、一時、すっかり忘れてしまうほど、おいしかった

そんな音楽だと、私はおもいます。

(のぶ)

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2011年4月 2日 (土)

震災から21日 エネルギー消費について

ももクロとランディ・ニューマン

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しばらく風邪をひいておりました。

「なにかを作り出す」やる気がどうにも起きなくって、

生活、リスニング、その他もろもろ、すべての事象から、

芸能の形成のために、「何か」へ変換していく気力もなく

ふだんの元気な私は、何を考えるにも、

大量のエネルギーを使っているのだなあ、とおもった。

別に、大量であることが良いこと、ということでもなく。

大量のエネルギーを、ボツになる新曲のために費やす

無駄なエネルギーを、創作以外のことに費やす、など

エネルギーの使い方にも問題がある?と思ったり。

少しずつ体調が回復し、

いつものエネルギーを徐々に感じながら、

何かに出会っては、あれこれ考え始めてはおりますが、

考えながら、これは必要なエネルギー消費か?と

チェックしていくことも、これからは必要なのかしら?

節電のため、田舎のように暗くなったバイパスや、

視聴モニター全て、電気を送っていないレコード店。

明るすぎる道路や、にぎやか過ぎる店内。

今までの、無駄なものによる、華やかさ、というか、

今までの、過剰なものによる、アゲアゲ感が、

今や、過去のことになってしまったなあ、と思います。

でも。無駄で、必要でもないことにエネルギーを注いだり、

明らかに過剰なことを、さらに過剰にしようと試みたり、

そういうことからうまれるもの(心の持ちよう)が、

節電の風潮と共に終わってしまっていいのか

無駄にエネルギーを燃やし続けたまえ!

そういう芸能が発する祝祭感を覚えているはずだ!

とも思います。芸能は、祭り、なのです。

一方で、

今までの過剰な環境からうまれた発想に、何があった?

もう世の中は、別の次元に入っている、

暗いバイパス、暗い店内からうまれるべき、

あたらしい芸の姿を模索して行こう、と思ったり。

芸能は、リアル、なのです。

よくわかりません。今のところ、着地点なし。

とりあえず、最近は、

ランディ・ニューマンのピアノ弾き語り『songbook』とか、

ももいろクローバーのCD『ミライボウル』とか、

もう、めちゃくちゃ?なリスニングをしております。

でも。どちらも、いい音楽だと思います。

(のぶ)

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