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2013年11月 3日 (日)

高倉健がアツい!

祝 文化勲章!ということで、

テレビで、俳優・高倉健の生い立ちみたいな番組がやっていて、

そのなかで、

深く慕っていた母親の死に目にあえなくて、

遅れてやってきた高倉健が、

骨壷から母親の骨を取り出して、

その骨をぼりぼり噛んだ、という話がものすごい。

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「おかあさんと別れたくなかったから」

と高倉健は説明し、

「お兄ちゃん、頭がおかしくなった」と妹たちが止めようとするのにも、

「これは、りくつじゃないんだ」と制して、

「おかあさんと別れたくなかっただけなんだ」と言う。

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骨を噛む、ということよりも、

私が「ものすごい」とおもうのは、

「おかあさんと別れたくなかった」というおもいが、

なぜ、骨を噛む、という行為につながっていくのか、

そこには何段階もの飛躍があって、

その飛躍のレベルが、「ものすごい」とおもう。

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「離れたくなかった。自分の身体の中に取り込みたかった、」とか、もっともらしい説明は可能かもしれないけれど、

もちろん、そんな「りくつ」ではなく、(りくつ。漢字で表記しない高倉健のことばのセンスもすきだ)

「おかあさんと別れたくない」おもいと、思わずしてしまう行為とが

迷いもなく、りくつもなく、じかに直結していて、

そのスピード感とか、ストレートさ、ジャンプ力に感動する。

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以前。作詞家・秋元康が「共感をするような歌詞を書こう、」

みたいなことをテレビの教養番組で言っていて、

実際、SKE48のうたに「恋をするとね 朝、早起きになるんだって」とかいう歌詞があると、

なるほど、そうだなあ、秋元康はすごいねえ、とおもう。

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高倉健の「おかあさんと別れたくなかった」から、骨を噛む、

ということに私は共感はしないけれど、

でも、なんか、そこにものすごいちからを感じていて、

そういうものが、ほんとうにすごいものだとおもう。

共感なんかできなくたって、なんかすごいものは、すごいのだった。

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共感なんかできなくたって、なんかすごいものは、すごいのだった。

二度言う。

シベリア抑留や、ブラジル移民のことを、なぜ歌うのか。

そこに、安易な共感なんか要らない、はずだ。

私は、もういちど、歌詞を考え直してみるとよいのかもしれない。

(NB)

グリマーズ連のライブ

11月18日(月)

新代田FEVER(世田谷区)

11月24日(日)

深谷文化会館アドニス(埼玉県深谷市)

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