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2014年2月11日 (火)

私のスペシャル浅田真央ストーリー(6) ミスとは存在するのか

ソチ冬季五輪。5日目。

いよいよ、カーリングがはじまってしまいました。

スポーツばかは、忙しくって、たいへんです。

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それにしても。

カーリングやってるひとの、気持ちの切り替えの早さは、ほんと超人的で、おもしろい。

あきらかにミスショットを放っても、

「AプランからBプランに切り替えました。」と解説者は冷静に言う。

ん?そういうものですか?

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われわれは、ミスを犯すと、

「あ、やっちゃった、」と気持ちになんらかの乱れが生じる。

ミスの大きさによっては、いつまでもそのミスについて引きずる。

いつまでも引きずる。

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カーリングをみていると、

そもそも、「ミスとは存在するのか?」という過激な疑問すら浮かぶ。

存在するのは「ストーンの位置」という現実だけである。

カーリングとはそういうものなのだ。

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局面は次々に展開し、そこに存在している。

もうどうすることもできない。やりなおせない。

ならば、

いまそこにある現実にしか関心を向けない。それだけ。

前向きにもほどがあるよ!という感じだ。

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以前、小笠原歩選手が、一度競技を離れた時、

短い期間、テレビ中継のカーリング解説者になったことがあって、

そのときの解説がすさまじかった。

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とにかく、後ろを振り返らない。

いま、ストーンがどのように存在しているか、

残りストーンがどれだけあるか、

そこにしか意識が向いていなくって、

「いまのショットはどうでしたか?」という実況の質問にも

解説者の歩さんは、「次どうするか、」ということしか頭にないらしく、

全然、話がかみ合っていないのが、

はっきりいって、私は笑った。

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いま、たしかにミスったよね、というプレーにも、

「それがAプランでなかっただけ」という切り替えで

いま、ここにある現実にだけ向き合う。

しかも。どんな状況になっても、自分に都合のいいように受け止める。

結局、ミスというものは存在しない。

そんなこと、ありえんのか?とおもうけれど、

どうも、カーリングをやっていると、そういう精神構造になっていくらしい。

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それって、すばらしい精神構造だとおもう。

よく、フィギュアスケートで、

はじめのジャンプで転倒して、あとの演技全体に引きずる、という話があるけれど

もし、「ミスというものは存在しない、」という

カーリング的な過激な精神構造があれば、

浅田真央選手のトリプルアクセルの挑戦は、もっと別のものになっていく気がする。

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とりあえず、カーリング中継で解説者が

「AプランからBプランに切り替えました」と言うのを、ぜひ聞いてみてください。

あれは、なんかおもしろい。

「おいおい!それでいいのか?」とおもうし、

「まあ、そうするしかない、か」とおもうし、

「それは、いい考えかただ」とおもう。

(NB)

グリマーズ連の「ミスは存在しない」ライブ

2月24日(月)

新代田FEVER (NBソロライブ)

3月5日(水)

新代田FEVER 「おぢまん企画」

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