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2015年7月25日 (土)

逗子まで行ってくる または秋元康にけんかを売る

なんか、うちに帰りたくないなあ、とおもい、

反対方向の電車に乗ってしまいます。

行きの電車で、新曲のアイデアがぽつぽつ浮かんできたのが、いい感じだったので、

やっぱり電車に揺られるのはいい、とおもう。まあ、

のらちゃんもいないし、このまま帰らなくたって、どうだっていいのだ。

いいのか。

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ちょうど来た電車は、逗子行きで、

これならどうせ、逗子~久里浜、三浦半島で行き停まるから、安心である。

これが東海道本線につながる小田原行きだったりすると、

そのまま、熱海~沼津~静岡~浜松~名古屋~京都~大阪~岡山~広島~

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ホーボーか!

(ホーボー:戦前アメリカで無賃乗車で列車を乗り継ぎ、旅して暮らす無法者たちのこと)

「だって、つながっちゃうから、」

そんな理由だけで、どこまでも行ってしまいそうな自分が、ちょっと危ない。危険すぎる。

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ホーボーといえば、

映画『北国の帝王』である。

列車タダ乗りに挑むホーボー(北国の帝王)と、タダ乗りを暴力で阻止しようとする鬼車掌、

タダ乗りをめぐる、汗臭い男たちの世界である。

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これを観るたびに、なんでこんなしょーもない題材が一本の映画になるんだろう、と感心する。

これが低予算のB級映画ではないところがすばらしい。

リー・マーヴィンとアーネスト・ボーグナイン、アクの強い名優ふたりに、監督はロバート・オルドリッチ。ちゃんとした映画なのだ。

でも、タダ乗りって。映画の題材として、しょーもなさすぎる。すばらしい。

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なんでこんな題材を?という話は、

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最近、なぜか急に思いついて、

米国の女性フォーク歌手ギリアン・ウェルチの『オーファンガール』(1996)を聴き直す。

『オーファンガール』という曲の歌詞で歌われる、

孤児の女の子

ギリアンさんは、なんでこんな題材をうたってるんだろう。

私は何年もずっと、創作の意味がわからないし、共感なんてしたこともない。

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あ。

のらちゃんだ。

『オーファンガール』。孤児の女の子。この曲は、のらちゃんのことなんだ。

うおもった瞬間、この曲がすごい。

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ギリアン・ウェルチさんがどんな意図で、孤児の女の子をうたう気になったのかは、わからないけど、

20年後の2015年、とつぜん、サイタマ・ジャパンにいる私が、

この曲を聴いては、のらちゃんをおもって、涙を流している。

共感している。

Gillian Welch [orphan girl live] https://www.youtube.com/watch?v=e7wTLQdT5NU

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Orphan Girl

私には母も
父も 姉妹も
兄弟もいません
私は孤児の女の子です

私は友情に恵まれました
それは純粋で素晴らしいものでした
けれども親族の絆というものを
私は知りません

私は母も
父も 姉妹も
兄弟も知りません
私は孤児の女の子です

でも いつか主に呼ばれたら
私はきっと
家族に会うでしょう
主の聖餐で

私は母と
父と 姉妹と
兄弟に会い
孤児の女の子でなくなります

清き救世主よ
どうかお導きください
私と共にお歩きください
家族と会うその日まで

私の母に
父に 姉妹に
兄弟になってください
私は孤児の女の子です

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すごい歌詞です。また泣いちゃった。

のらちゃんをあいした私のためにギリアンウェルチさんが、

のらちゃんを悼むうたを歌ってくれている。

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うたはふしぎだ。いろんなことを飛び越える。

だから。「これはだれかに共感してもらえるのか?」なんて、もう気にしない。

共感ばっかり目指さない。「おれはこれが言いたくてしょうがない、」ってことを最優先させます。

「聴くひとが共感しやすい歌詞を書きましょう。」

そんな、大作詞家・秋元康にけんか売ってくのだ。

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どうせ負ける?

「出る前に負けること考えるバカいるかよ?」 猪木

https://www.youtube.com/watch?v=d17c_E7OhMM

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(のぶ)

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