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2015年8月

2015年8月23日 (日)

四谷から市ヶ谷方面へ歩く または のらちゃんの奇跡に出逢う

四谷から市ヶ谷方面に歩いていて、

ちょっと現在地を確かめたくなり、

道路わきに立ててある周辺地図の看板を見に行く。

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地図のとなりには、東京歴史探訪マップ的な、

ちょうどこの界隈の古い地図も建ててあって、

解説文には、

「夏目漱石の門下生で、『ノラや』などの作品で知られる内田百閒は、ここ五番町で過ごしました。」とある。

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『ノラや』?

恥ずかしながら、私は、内田百閒は読んだことはありません。でも、

街歩き、たまたま出逢った『ノラや』の文字が気になって、

後日、図書館で、『ノラや』を借りてきました。

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しばらく読んでいくと、

『ノラや』の内容に、びっくりした

めちゃくちゃ泣いた。大号泣です。

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こ、これは、のらちゃんのことじゃないか。おれのことじゃないか。

そういうところがいっぱいある。

『ノラや』は、なんか、この泥ブログみたいで

ちがうんだけど、おなじだとおもう。

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これまでに

「犬との別れ」的な本を、いくつか手に取ったりしてみました。しかし、

どれも、「なんか、ちがうんだよな~」とおもう。

「だって、この話、のらちゃんのことじゃないもの、」とおもう。

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『ノラや』を読んでいると、

のらちゃんが生きている、いろんな場面がよみがえってくる。

ひさしぶりに、のらちゃんがあらわれる。

のらちゃんはとてもかわいい。

涙がだあだあ流れる。

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老作家は、「ノラや、ノラや、」と泣いている。

私も、「のらちゃんの~、のらちゃんの~、」と泣く。

ばかみたいだ。ほんと、ばかみたいだ。

内田百閒 『ノラや』は、そういうばかみたいな本なので、

すばらしい。

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(のぶ)

2015年8月22日 (土)

秋葉原でアイドルに音源をもらう またはボブ・マーリィとウェイラーズのCDをはずす

秋葉原を歩いていると、女の子がチラシをくれる。

メイドの格好をした子に、なぜかかわいい子はいないが

制服を着た子に、とんでもなくかわいい子がいてビビった。

いづれにせよ、

私はチラシだけはもらうタイプだ。

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そんな調子で受け取ったのは、CDで、

メイドの格好はしていない、その女の子はアイドルだと言う

「私たちの音源が入っているので、聴いてください。」とか言う。

(ほんとに、女の子が「音源」ということばをつかったのか。ほんとか。よく覚えてない

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「なんだ、CDかよ。めんどくせ~。まいったな」と私ははっきりおもう。

この先のコンビニでそのまま捨てよう、とおもった。

ただ、CDは「燃えるごみ?」で、いつもためらう。

私はごみの分別にはうるさいタイプだ。

しかも都心のコンビニは店内にゴミ箱があり、捨てにくい。

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そんなわけで、うちで一回だけ再生して、(義理は果たす)

でもまあ、私は絶対、気に入るわけがないから、

それで私は心置きなく、これを処分できる。燃えないごみ。

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最近聴きまくっていた、音楽史に残る名盤

ボブ・マーリィとウェイラーズの2ndアルバム『ナッティドレッド』(1974)をプレイヤーからはずして、

秋葉原で女の子から受け取ったCDをプレイヤーに入れた。

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一回再生。

あれ?

もういちど、こんどは、「聴いて」みる。

あれ? ん?

これ、いいかも。

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うして、もう20回近く、聴いたかもしれない。まだ聴きたい、とおもう。

「オトメコーポレーション」という4人組アイドル。知らない。

「ふたりだけのカレンダー」という曲のデモCD。

私はメンバーの誰からこれを受け取ったのだろう、ちょっとかわいい子だったけど。わすれてしまった。

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彼女たち、あの暑い夜、街頭での地道な宣伝活動のおかげで

私は最近聴きまくっているボブ・マーリィとウェイラーズのCDをはずして、

オトメコーポレーション、よくわからないアイドルのCDをプレイヤーにのせて、連続再生したりしている。

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地道な宣伝活動に意味がある。

そんなことって、あるんだ、と私はおどろく。

彼女たちがあの夜、秋葉原の街頭で音源を配っていなかったら、私は絶対にこの曲を聴くことはなかった。

そうだろうか。

いい曲ならば、いつかテレビやラジオで、いずれ私の耳にも届いたはずでしょう。

そうだろうか。

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ただ、この曲、

何度聴いても、歌詞がピンとこない。私には。歌詞は大事だとおもうんだけど。

アイドルファンの掛け声「オイ!オイ!」を入れやすくした、ノリ重視の曲アレンジにも、やや違和感をかんじる

(90年代小沢健二風、さわやかにアレンジしたら、すごくいい曲になったんじゃないか?)

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とか、ぶつぶつ言いつつ、何度も聴いてる。

なぜならば、メロディがとにかく良いから。

メロディがいいことは、こんなにも重要なんだ、とあらためておもう。

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(のぶ)

2015年8月12日 (水)

靖国へ行く ふたたび

8月12日。

四谷で用を済ませ、そこからてくてく外濠を歩いてたら、

なんとなく、靖国神社のそばにきたので、ちょっと寄ってみる。

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「なんか、15日を避けた、大物政治家みたい。クールだ。」

と、自分でもわけのわからないツッコミを入れて、にやにやしている。

警備のひとが、そんな私をちらちら見て、要警戒しているようで、

私はなんにもしてないのに、かえってそわそわしてくる。

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大鳥居をくぐって、靖国の長い参道を歩いていく。

ちゃんと大鳥居のまえでは、静止して。

背筋を伸ばして、しっかりお辞儀をする。

「おれのお辞儀、キムタクっぽく、かっこよくやりたい」と

ふと。なぜか、キムタクを意識してお辞儀する。

よくわからないけど。

キムタクはきっと参拝も(手水する姿すら)かっこいい。

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靖国にいる、おれ。

私は靖国とか、基本的に心の底では(たぶんちょっと)遊びが入っているのだが、

それでも、場の空気がそれをゆるさないことはわかっていて、

私だって、こんなところでヘラヘラするようなみっともない真似はしたくない。

靖国に入った以上、やることはきっちりやるのだ。

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前にもここで言ったように、私は

歯科医の待合室に置いてある『水木しげる伝』

南方戦線で、虫けらのように死んでいく下級兵士たちのことだけをおもい、手を合わせる。

それだけ。

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どこにもいけない。

南方やシベリアでさまよう下級兵士のたましいが、

もしここにあつまってこれるのならば

ほんと、おつかれさまでした。安らかにお眠りください。

そうおもう。

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靖国の、蝉が、みーんみーんと鳴いていて、夏だ。

やっぱり夏、8月に参拝するのが、

なんかシンクロ率高いかも、とおもう。

シンクロ率ってなんだよ、とニヤニヤしていると、

やっぱり警備のひとの「要警戒」の視線が気になる。

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(のぶ)

2015年8月 5日 (水)

アイリッシュパブでサッカーを観る またはカントリーミュージックの主人公になる

夕暮れ。神宮球場に行ってみる。

ヤクルトvs巨人。セ・リーグ首位を争う、いまいちばんアツいゲームだ。

も。指定席はすべて完売。外野自由席のみ。

9回フルで、立ち見か~

球場の外で、入るかどうか、さんざん悩む。

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9回、立ち見か~。

球場の外で、入るかどうか悩んでいる。

試合は始まり、ヒットやなにかがあるたびに、歓声が「わっ!」と上がる。

「あぁ、野球やってるな~」とおもう。わくわくする。

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8月の夕暮れで、

神宮球場でナイター観戦しながらビール飲んだら、最高だろうな、とおもう。

でも、立ち見か~。まだ悩んでる。

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「わっ!」「お~!」

歓声ののち、ライト側から東京音頭が聞こえてくる。

試合はずいぶん展開をはじめているようだ。

私はもう遅いのだ。

入るのをやめることにする。

ほんと、私の優柔不断は、ばかみたいだ。

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ばかみたいだ。ばかみたいだ。

とぼとぼ歩いていたら、

アイリッシュパブがあって、店内テレビで

サッカー男子日本代表が韓国と試合をしている。

知らない人とサッカー観戦でもしよう。

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「ギネスください。」

スツールに腰掛けて、カウンターに頬杖をついて、

ギネスビールをちびちび飲みながら、

テレビ画面の、男子サッカー、日韓戦を観てる。

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「あぁ、ひどい。どうしようもない、」

サッカー男子日本代表がどうしようもない。

そして、それよりも、おれがどうしようもない。

薄暗いバーのカウンター

スツールに座って、頬杖ついて、酒をちびちび飲んでる

典型的なカントリーミュージックの主人公、ダメ男が、

今のリアル私だ。

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サッカーコートの芝生の緑が、薄暗い店内にちかちか光っている。

テレビを観ているのは、カウンターに頬杖つく私ともうひとりの男性くらい、店内にふたりだけ。

カウンターのなかをきびきび動くおねえさんは、常連客とアイルランドの話をし、

若いサラリーマン男子はフィッシュアンドチップスを注文して、がつがつ食っている。

奥の立ち飲みスペースでは、背の高い白人のおとこたちががやがや騒いでいる。

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アイリッシュパブ。

みんな、勝手にやってる。

そんななか私は、カントリーミュージックの主人公みたいに

カウンターに頬杖をついて、ぼんやりとスポーツ中継を観てる。

なにもない。どこへもいけない。

あぁ、おれはどこへいくのか。

「BARSTOOL BLUES」の夜。

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茨城で、『武州オンザロード』を鳴らし続ける、

http://sadamizu.seesaa.net/article/422589681.html

清水さん(かまボイラー)の新バンド「BARSTOOL BLUES」に感謝をこめて。

でもなぜか、私のなさけない夜の話。

なんかこんなブログになっちゃった。すみません。

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(のぶ)

2015年8月 1日 (土)

映画『イヴ・サンローラン』を観る または刺青のデザインが決まる

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そろそろ寝ようかとチャンネルを回していたら、

NHK BSで、イヴ・サンローランのドキュメンタリー映画が始まったばかりで、

なんとなく観ていたら、なかなかおもしろいので、最後まで観た。

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ファッション、愛すること、創作すること、死、

いろんなテーマがふくまれる映画

の内容とは関係のない、どうでもいいことだが、

腕に「LOVE」という刺青をした男がいて、それをみて

ふと。

あ、「のら」なら入れてもいいかも、とおもった。

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私は刺青は入れないけど、

「刺青、もし入れるなら、なんだったら入れる?」という問いというか、

自分の中での大喜利みたいな遊びをしているが、

「完璧な正解」が出たためしがない、難問中の難問だ。

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どんなに「最高な刺青」でも、

何年か経ったら、まず間違いなく、私は後悔する。

刺青は消せない。それは困る。

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いま、最高の答えも、あと10年したら、どうなるか。

私はまさか、ミスチルを聴きまくる時期が自分にくるなんて、エグザイルの新譜を待ち望む時期が自分にくるなんて、思いもよらなかった人生だ。

価値観、何がどう変わるか分からない。(そして、いまはミスチルもエグザイルも聴かない。聴けるけど)

じゃあ、ずっと好きなジミヘンだったらいいじゃん、

とか、そういう問題じゃない。刺青は。

それをおもうと、これといった答えはいつも出ない。

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その点、

「のら」だったら、刺青をみるたびに、のらちゃんのことをおもいだす。やさしい気持ちになる。

「チョーシにのって生きろ。何年経っても、絶対に忘れんなよ、」っていう自分への誓いというか、約束でもある。

のちのち、「のら」と入れたことを後悔することすらできない。

だって、のらちゃんなんだぜ!

(てか、私は、刺青の本質に近づいている気がする)

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「若気の至り」的な、愛した女性(ひと)のなまえでもないから、のちのち、めんどくさいことも、はずかしいこともない。

今後出逢う人に、「い、れずみ?」「い、ぬ?」と、ちょっと常識を疑われそうな気はするが、

「ごめん、のらちゃんはとくべつなんだ」と言うしかない。

それが通用しなければ、ご縁がなかったとおもうべきか。

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…。

ともあれ、

「のら」 (フォントは、私の手書き文字です)

刺青入れるなら、何を入れる?の完璧な答えだ。

私ははじめて「完璧な答え」を出せたことに、われながら、びっくりした。

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まあ、刺青は入れないんだけど。

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映画のなかで、

「ターナーが描くまで、ロンドンに霧はなかった」

というオスカー・ワイルド(アイルランドの作家)のことばが引用されていて、

はずかしながら、今まで私は知らなかったのですが、

なるほど、それはいいことばだとおもった。

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私たちには当たり前すぎて見えてなかったものの存在に気づかせる。

気づいた瞬間、それは世界の魅力のひとつになる。

そういうことが芸術の役割でもある。

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まあ、そんな意味だろうとおもいますが、

私も、「郊外」という世界で、そういうことをしてみたいと、ずっとおもっています。

もっとも。郊外の風景はいま、ファミレスが元気だった10年前の感じとは変わってきていて、

「アメリカっぽい、」なんて無邪気にうたえるほど単純ではなく、

私はもはや「郊外」に愛着も感じていませんが、

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たとえば、

さいたま市。午後8時の交差点。

社用の白いワゴン車が、赤信号なのに、

ふつうに、するーっと進行していくのをみていると、

「え?」「なに、これ?」

時間が止まり。

なんか、こころが躍る。わくわくする。

郊外には、そういうリアルがあったりする。

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(のぶ)

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