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2016年6月

2016年6月16日 (木)

サッサン、鎌倉へ行く

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大仏さま&サッサン。

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北鎌倉の明月院には、

青いあじさいがいっぱい咲いている、ということを知って、

それは私のゆめなんじゃないか。

「ピザ、キャバクラ!」 (いざ、鎌倉!)

鎌倉へ行ってきました。

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北鎌倉、明月院。

いいところです。晩秋、もっと人の少ないときに、また行きたい。

北鎌倉の道を歩く。北鎌倉はなんかおしゃれ。

鶴岡八幡宮の石段はきもちよい。参道の老舗パン屋でパンを買う。

鎌倉はたのしい。

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大仏まで2キロくらい?歩いて行き

時間があったら長谷寺のあじさいも見よう

そのあとは由比ガ浜の砂浜で海を見て、ぼんやり

大好きな江ノ電に乗って江ノ島へ、

江ノ島から湘南モノレールというのに乗って大船へ

夜は、大船のまちの銭湯に入っていこう。

盛ったね。うん、いいプランだ。かんがえながら参道を歩いていると

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「サッサン?」

と声をかけられる。

サイタマから遠く離れた神奈川県、鎌倉で「サッサン」と呼ばれることは、ゼッタイありえない。

何かの聞き間違いだと私は確かにおもった。一応、声の掛かったほうに顔を向ける。

目の前に

いま、シンガポールにいるはずの私の旧友がそこにいる。

けど、数秒は、

状況が飲み込めず、自分のみているものに焦点が合わない。現実感をかんじない。

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「サッサン、こんなところで、なにやってんの?」

「いやいや。なんで、きみが、ここにいるんだよ?」

私たちはほんとうにびっくりして、おなじことを言い合う。

サイタマの私が鎌倉に行くなんて、一年に一度もない、

そもそも、きみはいつシンガポールから日本に帰ってきて、

鎌倉で、なにやってんだ?

なんで、おれたちは、会うんだ?

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私たちは、ちょっとありえない偶然に、ひさしぶりに再会したたのしさよりかは

なんというか、そわそわして、なんか落ち着かないヘンな感じである。

会いたくなかったわけではない。なんというか、突然すぎて、チャンネルがまだ合ってない感じ。

なにか運命的なものをかんじるけど、男同士でそんなこと言い合っても、ばかみたいだから、言わない。

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だからこそ、

私たちが、いま、鎌倉にいる、ここにいたるまでの、

いろんなはなしが、おもしろおかしく、ていねいに話されるべきだが、

そこに、

おみやげ屋から、マレーシア人の彼女が戻ってきて、

ますます状況が混沌としていく。

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もうなにがなんだか、私たちはわからない。

旧友は、日本語がわからないマレーシア人の彼女に、

英語を使って「彼は高校時代のともだちだよ」みたいなことを教えているが、

なぜおみやげ屋から戻ったら、だんなさんのそばに、

高校時代からの旧友がいるのか、彼女はわけがわからない。

って、きみ、結婚したんだ。

私だって、この状況がまだ全然、処理しきれていないのだ。

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「おれのことは、あとで彼女にちゃんと説明しといて、」と私は旧友に言い、

これからすぐに鎌倉をあとにしなければならない、という彼らといっしょに鎌倉駅へと歩きながら、

近況を手短に報告しあう。

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「だから、なんで、サッサン、鎌倉にいるの?」

「青いあじさいがすごいんだよ。明月院。北鎌倉の、」と

私は答える。

「ん?長谷寺のあじさいじゃないの?」と旧友は言い、

長谷寺は、すごい混みようで、入場に1時間待たされた、と言う。

「明月院も混んでたけど、入場制限はなかったよ。」と私は応える。

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私たちがいま話すべきことは、

どこの寺のあじさいが何色か、どこの寺が混んでるか、

そんなことじゃないはずだが、

どうしてこんなときに、私たちはどうでもいいことばかり話してしまうのだろう。

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「音楽のほうは、どう?」

「あんまりうまくいってない。」と私は答える。

もう一年以上新曲が出来ないんだ、もっと正直に言おうかとおもったが、やめた。

むかしは、この旧友と久しぶりに会うと、

アミューズ(大手芸能事務所)がどうの、フジロック(大型夏フェス)がどうの、関西(大盛り上がり)がどうの、とか、

威勢のいい話ばかりしていたなあ、と一瞬おもった。

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鎌倉駅の改札口で、

もう日本にはもどってこない、むこうでずっと暮らしてく

と旧友が言う。

なんで、こんなところで私たちは別れをしているのだろう。

じゃあ、おれがシンガポールに遊びに行くよ、と私は言って

ふたりと握手した。

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シンガポールに永住することにした私の大の親友が、

マレーシア人の奥さんと自動改札を抜けていく。

なんで私は鎌倉なんかで彼らを見送っているんだろう。

まったく、なにがなんだか、わからない。

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(のぶ)

2016年6月15日 (水)

サッサン、お悔やみの文章を書く

高校生のグリマーズが五人組だったころ

「バンド合宿」と称して、

スキーをしようということになり、

私の父親が当時、大変お世話になっていた

社長さんの別荘に、男5人で行ったのであった。

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で。別荘の、離れの別宅が私たちに与えられたことをいいことに、

よなよなマージャンをして、

次の日の朝、「ねむいし、めんどくさいから、スキーしない、」とメンバーの意見がまとまって、

それを聞いた社長さん(スキーインストラクターでもある)は、

「おまえらは、なにをしに、やってきたんだ、」と怒ったし、あきれて、

私の父は、その後、しばらく、社長さんに

「あいつらは。まったく。どうしようもなかった。」と言われつづけていたらしい。

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その社長さんの奥さんが亡くなった。と連絡がきた。

突然、出先で倒れて、急死だったそうだ。

社長さんにお悔やみを、というわけで、

私の父はもういないので、

いま、私がお悔やみの文章を作成している。

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社長さんが私の書いた文章を読んで、

自分が気づいていなかった、在りし日の奥さんの姿を

少しでもイメージできたらいいな、とおもう。

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生前ののらちゃんを知っている人から、

のらちゃんはこうだったよね、という話が出てくると、

私だけののらちゃんが、ちがう角度から、また生命を吹き込まれた気がして、

のらちゃんが生き返る。のらちゃんがもっとリアルになる。

生きることの奥ゆかしさに触れることは、もちろん、うれしい。

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そうおもって、

亡くなった奥さんの在りし日のすがたを、

ほんのちょっとでも、私のほうからあらわしていきたい。

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「私はなんで、こんなことに、ものすごいエネルギーを注いでいるのだろう?」と

そのお悔やみの文章を何度も書きなおしながら、おもう。

でも、私はこの文章を、なにか、相手をふわっとさせる、いいものにしたい。

この衝動はきっと、ものづくりそのものだ。そうかんじる。

歌詞だけじゃない、こういうことも全部つながっている。

香典が届き、同封された文章など、ちょっと目を通すくらいだろう。

かなしみにあるひとに、気の利いたことばなど、うっとおしいだけである。

でも、

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三遊亭円楽の不倫謝罪会見は、

私はなんかすごくイライラした。

ことばがどのように扱われているか、がイヤだった。

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気の利いたことばを、よどみなくつづける楽太郎をみながら

私たち視聴者は、なにを観させられているのか、とおもった。

なにかがあるとしたら、楽太郎の話芸の力量のアピールであり

そういうのは、ギター腕自慢みたいなもので、

「うまいねえ、」とおもうだけ。つまらない。

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楽太郎のはなしなど、こんなとき、すべきではないのだ。

私は、気の利いたことをつらつらと文章にしていきたくない、とおもった。

じゃあ、ファンキー加藤みたいに、誠心誠意あやまる、みたいな感じがいいか。

じぶんでも、何言ってんだか、もう、よくわかんないが、

「ファンキー加藤、DJケミカルに説教される」といった芸能誌の見出しには、笑った。

この話は、深いよ。

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あと。三遊亭つながりでいうと、

ちょっと前の「笑点」放送で、

「歴史上の人物が言ってはいけないこと」というお題で、

三遊亭小遊三(いちばん左・水色)が、

源頼朝が、ピザ、キャバクラ!」

と答えたのには、私は大笑いした。

ことばの跳躍力が、すばらしい。(注:いざ、鎌倉)

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とにかく。

気の利いたことをつらつら言ってるときは、

「これは全然ダメだ。」とおもえるようにしたい。

ちょっとつっかかる、というか、つまづく感じのことばがいい

そんな気がします。

納得のいく、ごつごつした文章を書き上げたいです。

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(のぶ)

2016年6月 6日 (月)

サッサン、福山雅治主演 『ラブソング』を観る

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神代(福山雅治)は、さくらに曲の作り方を聞かれる。

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福山雅治主演の月9ドラマ、『ラブソング』

こんな内容であるらしいことを、新聞のテレビ欄で知った。

ふーん。福山雅治が、素人に曲の作り方を聞かれるドラマなのか。

聞かれた、ってことは、教えるんだろうな。

それはいい。

月曜日 よる9時 フジテレビ。観ます。

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福山雅治が、

歌詞はどうやってつくるのか、

メロディはどうやってつくるのか、

コードはどうやってあてはめていくのか、

素人に教えるシーンがあったら、おもしろい

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とりわけ、

一曲をつくっていくときに、思い浮かぶ、

ああしよう、こうしよう、限りない選択肢があるなか、

なんで、「これではダメ、」とおもうのか、

「よし!これでいこう、」と決断していくポイントはどこにあるのか

ものつくりとはなにか、素人にいろいろ教える、そんなドラマだとおもっていたら、

そうでもなかった。

あたりまえか。

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その一番大事なところは、

セリフのない回想シーン的な映像(1分くらい)になってしまっていて、

「なんだよ、なんにも教えてくれないのか、」と私はがっかりした。

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福山雅治主演『ラブソング』

私は、今回の第9話しか観てないから、無責任でいい加減なことしか言えませんが、

福山雅治が素人に曲のつくりかたをおしえる、というシーンに対し、

時間かけて、内容のあるセリフを重ねて、きちんと描いていれば、

もっとおもしろいドラマになるのになあ、とおもいます。

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ヒロインの声が出なくなる、という悲劇よりも、

福山雅治(演じるミュージシャンくずれ、でも才能あるらしき主人公)がどうやって曲を作っていくか、

素人(ヒロイン)がいかに、みずみずしい感性で、歌詞ことばを連ねていくか、

名曲が生み出されていく軌跡(奇跡)を描いたほうが、

私たちは絶対おもしろいはずだが、

ドラマ制作者は、そうはおもわなかったみたいです。

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まあ、名曲なんて簡単にできないことを私たちは知っている。

でも、ドラマなんだから、そんなことはどうでもいい。

私たちは、「ドラマの世界の中では名曲ということになっている」という

ドラマ設定を受け入れる、こころの準備はできている。

「え?大していい曲じゃないんだけど…」なんてしらけるようなことを

わざわざドラマ観ている自分から言い出すことはしない。

ドラマを観る私たちは、みんな、やさしいのだ。

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もんだいは、

愛のうたが、いかに生み出されていくのか、である。

なぜ、出だしを、そのことばにしたのか、

なぜ、歌詞世界を、その場面・風景にしたのか、

なぜ、サビ(フック)はそのことばがいい、とおもったのか、

なぜ、そこを、そのコードにしたのか、

なぜ、カントリーミュージック調の曲調にしたのか、

そういうことを、福山雅治のセリフを通して聞きたかったな。

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ちなみに。

月9ドラマ『ラブソング』は、そういうドラマではありません。

私は、ちょっと、あたま、おかしいのだ。きっと。

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(のぶ)

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